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日本人が「一汁三菜」に強いこだわりを持つ事情、令和になっても家事に残る「昭和型の価値観」という呪縛

SNSを通じて食事作りや洗濯など家事の大変さを語る人が増えてきたが、それでも家事が無賃であることは変わりないし、家事の量が減っている、ということもない。そうした中、家事代行やミールキットといった家事の負担を軽くするサービスも少しずつだが浸透している。
2020年2月からサービスを始めた惣菜宅配サービス「つくりおき.jp」もそんなサービスの1つで、現在では26都府県でサービスを展開している。今でも食事は「手作り」「丁寧」「一汁三菜」など、家事に対する固定観念が強い日本人を“昭和型家事”から解放するにはどうしたらいいのか。つくりおき.jpを運営するAntway創業者の前島恵社長兼CEOと、『家事は大変って気づきましたか?』の著者で、生活史研究家の阿古真理氏が語り合った。
 
■「作らないことには罪悪感はない」
 
 阿古:食事づくりを楽にしようという発想から生まれてくるビジネスって何パターンもあると思うのですが、その中で、レシピと食材がセットになったミールキットではなく、すでにできあがった総菜の宅配という形に落ち着いたのはなぜですか。
 
 前島:食事づくりは女性がやらないといけない、という価値観自体が構造主義的にというか、作られたものだという認識はありました。なので、なるべくそうした価値観をなくしたいと。そうした中で、顧客ターゲットとなる、共働きで子育て中の30~40代50人くらいにインタビューをした結果、今世の中にあるサービスは、構造に規定されすぎているんじゃないかなという思いが生まれたんです。
 
 例えばミールキットは当初、すべての工程をメーカー側がやってあげると作り手に罪悪感が残っちゃうから、後工程を残しました、といった打ち出し方でした。しかし、それでは食事作りはやらなきゃいけないという構造は残ってしまう。
 
 一方、顧客ターゲットの方々に聞くと、作らないことに罪悪感はないと。そうではなく、子どもに安全なものを出したいとか、栄養価は高いほうがいいとか、見た目が悪いものを出したくない、という回答が得られたのです。
 
阿古:2017年に東洋経済でミールキットの記事(「昭和飯」は女性の料理負担を増やしたのか)を書いたのですが、そのときはやっぱり、罪悪感があるから手をかけたいという利用者の声がありました。そう考えると、食事作りへの認識も変わっているのですね。
 
 前島:一歩一歩ですよね。便利なものが当たり前になって、それまではちょっと使うのに罪悪感があったものが使われるようになって、さらにその先が当たり前になっていく。階段を上っていくように文化とか認識が変化するのだと感じます。
 
■女性は「背負いすぎている」傾向にある
 
 ――前島さんは30代と聞いていますが、ご自身の世代は食事作りなど、家事に対してどのような認識をもっていると感じますか。
 
 前島:20~30代はかなり変化していると思います。家事については正直世代間格差がありますね。ただ、旧世代の方は環境的にそうならざるを得なかった面もあると思います。便利で安心できる外注サービスやネットがなかったし、そもそも働く女性も少なく、社会的に役割分担を強いられている状況にありました。
 
 一方、今の世代は欧米の思想が入ってきたこともあるし、便利なサービスが色々あって、むしろそれを使わないほうが変じゃない?  みたいになりつつある。思想と物理的な社会のレイヤーから変わってくることで、20~30代はかなり変化しているなという感覚はありますね。
 
阿古:ただ、それでも女性側は背負いすぎている傾向があります。以前、料理がしんどい人たちについて取材をしたとき(「料理がしんどい」と感じる人が増えつつある事情)、40~50代が多かったのですが、特に50代ぐらいの方は料理は自分がやるべきで、しかも、それを丁寧に、一汁三菜で、日替わりで作らなければいけないという意識が強い。それを何十年もやってきて、時に家族からディスられ……。主婦の方でもだいぶ疲れていらっしゃいます。
 
 前島:感謝もされずに、「またこれ?」みたいな。
 
 阿古:そんな環境の中で料理をしてこられていて、「本当はもっとちゃんとできなきゃいけないんですけど」とか、「SNS見ると、もう皆さんすごいのに私は……」とかおっしゃる。なので、「何作ってるんですか」と聞くと、わりと手の込んだものを作っているんですよね。
 
 前島:なるほど。家父長制×SNSって掛け合わせるとかなり邪悪なことになるという。自分はその責務をやらないといけないのに、そこにおける最高の人をインスタとかで見ちゃうと、劣等感を抱いてしまうということですね。
 
 阿古:ただ、SNSの場合、それが自慢できるぐらいに、食べるのがもったいないようないい料理ができたから投稿しているのであって。私も自分が作った料理はほぼ投稿しませんが、栗ご飯を作ると投稿したくなりますよね(笑)。
 
 前島:必殺みたいなものですよね。あげるやつって。
 
 阿古:それなのに、見る側はそれを当たり前に毎日やっていると思っているという問題はずっと指摘されているのですが、その認識はなかなか広がらず、料理をする人はプレッシャーを感じてしまう。
 
■30~40代の女性が一汁三菜思考に囚われている
 
 前島:一汁三菜思考も結構根強いですよね。当社のサービスは副菜と主菜で構成されているんですけども、一汁三菜へのこだわりは結構根強いなと感じていて、複数の主菜と複数の副菜という構成にしたんです。当時インタービューした中でも、食卓にどういう構成で出したいですかって、30~40代に聞いても、最低でも一汁三菜は、みたいなのがあって。
 
 ――最低でも、なんですね(笑)。
 
 前島:ちょっと豪勢すぎますよね。で、一汁は用意できるけれども、三菜のほうが大変すぎるという意見がかなり強くて。それで、三菜側をこちらで用意しようということになりました。
 
 阿古:今まで調べてきてわかったのですが、そういう30~40代の親御さんというのは一汁三菜ブームのときに子育てされているんですよね。「きょうの料理」が副菜をテキストで特集していたりとかして。私の30代の友人も、鍋のときでも副菜をつけなければいけないとか言っていて……。え、鍋だけじゃダメなのって。
 
 前島:高度経済成長期に輸入でさまざまな食材が入ってきて、当時は専業主婦世帯が多くて一定の時間もあったので一汁三菜がはやったのもわかります。ただ、今は状況が違うので、思想も変わっていってほしいな、と。あと、もう1つその背景にあると感じているのは、子どもへの愛情表現が食事であるという、かなり強い信仰があるということです。
 
 これは当社のミッションにも通じるのですが、子どもへの愛情はある種ポートフォリオで感じてほしいな、と。食事はその1つではあるけれど、ほかにその要素はいくらでもある。一緒にトランプやってもいいし、話をしてもいいし、ハグをしてもいいし。食事はそうした愛情表現の中の一部だという扱いにならないのかな、と思いますね。
 
 阿古:十数年前、リーマンショックとか、そのちょっとあとくらいに「料理は愛情で、食卓は家族の絆」みたいなアピールがものすごく強かった時期があるですね。もちろんそれは正しい考え方の1つではあるけれど、その正しさだけが非常に強調されてしまっていた。
 
 この時期は、総菜がどんどん普及して、若い世代の料理技術が下がって、和食離れが進み、醤油も消費量が減って、米は当然減り続けていると言う中で、日本の食文化が壊れてしまうかもしれないという危機感がとても強かったのです。
 
 そういう中で、料理は愛情だという正しさが強調されすぎてしまったがゆえに、それを信じている人たちのほうが「私はまだまだ物足りない」という強迫観念を感じて、正しく一汁三菜を、となったわけです。
 
■「義務としての食文化」は残るのか
 
 ――真面目な人ほどそう感じてしまった。
 
 阿古:そう、真面目な人ほど余計に、かたくなに正しく生きようとしてしまう。
 
 前島:ただ、義務としての食文化って残るのかなっていう、疑問があります。そもそも文化って自然と社会に溶け込んで、そこから自然発生的に生まれるものではないかと思います。そうした中で、料理が残さなきゃいけない義務になった瞬間に、逆に残りづらくなるんじゃないか。一部の、ある種の原理主義的な人によってのみ残される、というか、主義にしてしまうことでしか残らないのではないか、と。
 
 楽しく料理をやろう、そのためには、やっぱり一汁三菜毎日は厳しいので、土日だけで普段は総菜でいいよねと、したほうが食文化は自然に残るんじゃないかと思ったりはします。
 
  最終更新:2023/07/26  【印刷】  【キャンセル